プロの料理人とただの料理人

今日は、初詣の前に「チェンバロ」の演奏を見に行った。



チェンバロ自体は見たこともないし、聞いたこともない。なにやら、ピアノの前進であるらしい。ピアノと同様けん盤を叩いて演奏するのではあるが、ピアノが叩いた音であるのに対して、チェンバロは弦を引くものらしい。



こういうクラッシックの演奏を聞くのもほとんど初めてだが、演奏する前に演奏者が作曲家やその曲の背景などを説明してくれる。



昨日読んだ大前氏の『新・経済原論』に、創造性のない行いを「料理本を読んで、それを真似ただけの料理」と例えていたが、クラッシックもそういうもので、ただ楽譜通りに演奏するのではなく、ちゃんと時代背景や作者の感情を想像しての演奏が素晴らしいものなんだろうと聞いていて思った。



とはいうもの、自分の聞く方の想像力もまだまだ。クラッシックに慣れておらず論理的に聞いてしまうので、ちょっとした間とかが気になり、とまどうばかり。これに慣れるにはまだ時間がかかりそうだが、演奏者が曲の前に聴衆に向かってその曲の背景を説明し、1つの曲を共有しようとする姿勢には好感が持てた。



で、その後の初詣は、その足で溜池山王の「日枝神社」へ。



しかし、お参りの鈴が初詣使用で、横一列に安っぽいものが20個くらい取り付けられていて、ありがたみがない。参道にはエスカレーターがついているし、臨時のおみくじ所が設けられているなど、違和感がかなりある。



それこそ、「料理本を読んで、それを真似ただけの料理」に感じたので、ここでお参りをすることなく帰ってしまった。



些細なこだわりではあるが、物事を本質で捉えようとしているものと、表面的にこなすものの両面を見たような気がする。



ちなみに、昼食は大好物である陳健一の「四川飯店」の麻婆豆腐を予定していたが、残念ながらまだ正月休みであった。仕方がなく赤坂にある「赤○飯店」という値段設定が「四川飯店」と全く同じ店に行ったが、味は美味しかったが、店の雰囲気や店員の対応などは、全く対局をなすもので、また行きたいと思える店ではなかった。



やはり、陳健一は鉄人と言われているだけあって、料理に対する演出は素晴らしいものだと改めて感じる。これは、提案書や企画書などの資料つくりなど日々の仕事に、大いに当てはまることで、とても大切なことだ。



余談ではあるが、このブログを書いているうちに「四川飯店」の麻婆豆腐が無性に食べたくなってきた・・・。