マナーからルールへ

どこの企業もそうだが、業績が悪くなってくると風紀から正そうとする。



2,3分の遅刻にも、厳しくお互い注意しましょうみたいな。

余りにも、それがひどいとタイムカードを導入して規則を取り入れる。



それが、マナーがルールに変わる瞬間。



マナーであれば自発的なものであり、誰にも強制されないのに、ルール化されてしまうと強制力が働く。



路上喫煙なんて、良い例だね。





そして、これは労働にもあてはまる。



昔の日本人(江戸時代ころね)は、そんなに勤勉ではなかったらしい。暑いから仕事しないとか、働きたくないから働かないとか。文献などによると1日3時間労働くらいだったらしい。



それが、明治時代に入り日本も世界の肩を並べるために、労働力が必要となるが、そんな状況なので労働力がない。



アメリカは一足早く、アフリカから黒人奴隷をつれてきたので、容易だったが、日本がやろうとした時には、国際的に奴隷は禁止されていた。



それで取り入れたのが「教育」だそうだ。

まあ、いいかえれば「洗脳」だね。



はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手をみる

 

教育されルールの下で働く限りは労働者であるから、働いても金持ちになることはない。労働者が働けば働くほど楽になるのは経営者などの、ルールを作った方の人達だ。



何が言いたいのかって言うと、どんな状況であれ仕事というのはルールではなく、自発的なものでなければならないということ。



ルールの下で働くのは労働であって、いつまでも抜けることの出来ないスパイラルに陥っていく。



また、企業の中で教育者ぶっている割にはルールを作ることしか出来ない人が多い。社員1人1人の人生を考えるのであれば、労働者としてルールを叩き込むのではなく、社会人としてのマナーを教えるのが本当の教育ではないのだろうかと思う。





   反社会学講座



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この本の冒頭にある社会学者の一般的な研究方法は面白い。



?新聞などから気に喰わないことを探し(ニートの生活形態)?なぜ気に喰わないのかを探し出し(税金を払わないとか・・・)?都合の良いデータを探し?都合の良いところを抜き出し?それがない場合は海外のデータを参照し(イギリスでは・・・)?個人的な結論を社会問題として?本を出版する。



これ見てすごい納得。『下流志向』を書いた内田樹先生や、『他人を見下す若者達』を書いた速水俊彦先生に、もろに当てはまる。



まあ、多くの人が気づいていることなんだろうが・・・。