己の中のリーダー・・・

ビジョナリー・ピープル』が発売されたが、実は恥ずかしながら『ビジョナリー・カンパニー』自体を読んでいなかったので、まずはそれから取り掛かることにした。



この選定基準として、創業して50年以上という条件がある。

長い期間成功するにあたって、自分が特に注目した部分は、



カルトのような文化を創る



という点だ。



このカルト的な文化を創るところにリーダーシップの真髄が発揮される。「どれだけ社員を熱狂させられるか」が重要なポイントであり、その手段は「ビジョンを掲げる」「先陣を斬って行動する」など様々だ。



チームでの活動で過去にカルト的な文化の中で熱狂したことがある人はわかると思うが、この状態に陥ると善悪の判断すらつかなくなる。悪の方向性なら、北朝鮮やオウムも同じような状況と同じようなもので危険なものだ。



また、そのような状態の中で無我夢中に努力し、我に返って冷静になったときに何も手元に残っていない時ほど、むなしいものはない。



そのような中、リーダーとしては社員を熱狂させると同時に正しい方向に導くことが必要とされる。そして、ビジョンはその判断を正しくさせるものとしても存在する。



Googleの経営理念として「邪悪にならない」という言葉があるのは有名で、これはどんなにエンジニアが自己の世界で暴走しようとも、サービスリリースの際には、この理念の基で審査が行われるので、道を外すことはないように。



また、リーダーとして、先陣を斬って未知の世界に飛び込んでいく勇気も必要となる。周りが動くことをモチベートしてもカルト的な雰囲気は作りだせない。自らが率先して動くことが必要だ。



周りを動かそうとして自分が動かない行為はマネジメントであり、リーダーシップではない。そして、カルト的な雰囲気を創れるのは、マネジャーではなく、リーダーである。



以上のことは、組織的な観点ではあるが、同様の状況を一個人の中で創りあげることが必要とされる。



企業の成長法則と個人の成長法則は一緒だと思う。



自分自身を熱狂させるビジョン。

自分自身の行動を促す行動力。



「自分探しの旅」なんて言って何となく過ごしても、世の中に数多くある企業と同じで、そこでは何も見つからない。



目標を持って、壁にぶつかって、それを乗り越え、新たな目標を設定し、また壁が現れ、それを乗り越えということを繰り返すことで、自分自身に自信が沸いてくる。



その自信とは、会社での評価とか、持っている資格とか、そういうものではない。形では表せなくても、自分の中にそれさえあればいいと思う。



別に形なんかなくてもいい。実力があれば、形は後からついてくる。

紹介されているビジョナリーカンパニーは成功をそのものをビジョンに掲げていない。その本筋となるものは、社会貢献がそのほとんどだ。



人も最終的なビジョンを社会貢献とすることが大切なのではないだろうか。

最終的なビジョンの中に下心があると、自分の中にはリーダーではなく、マネージャーしか存在しなくなりそうだ。



まだ、『ビジョナリー・カンパニー2』『ビジョナリー・カンパニー特別編』と『ビジョナリー・ピープル』に辿り着くまで2冊もあるが、このように仮説が膨らんでくると、読むのがとても楽しみになる(著者が違うので、全く同じようには当てはまらないとは思うが)。



そして、『ビジョナリー・カンパニー』は、今まで読まなかったのを後悔するくらい、素晴らしい1冊だった。