キャリアデザインの落とし穴
組織内における教育って何なんだろうかと改めて考える。
これは数年来考えていることだ。
ちょいと前までは、X理論Y理論などという教育方法について考えていたが(http://naotake.blog.drecom.jp/archive/351)、ここ最近それだけだはダメなことに気づいた。
組織というものを意識したときは、X理論の要素が多きい。
しかし、Y理論は組織的な価値観は提供できないが、人としての価値観を大いに提供することができる。
いわゆる、キャリアデザインに近いところだ。
自分もY理論が理想だと思っているが、組織的価値観を提供できないY理論には大きな矛盾が生じる。
その矛盾とは、人としての理想と、組織の現実だ。
Y理論にて教育したとき、それを理解したもののほとんどは理想と現実のギャップに気づき、自らが理想とする職場を探す。
ひとえにそれは教育者は単なる教育者であって、組織改革者ではないからだ。
Y理論を提唱するなら、組織を変えるほどのパワーを持つ真のリーダーでないと、このようなリスクを伴う。
これから新入社員研修などの時期かと思うが、入社早々キャリアデザインのような研修をするところはほとんどないだろう。
そのほとんどがX理論にて、その会社の慣習や業務プロセスを叩き込ませる場となる。
それらを実践する人は教育者と呼べるのだろうか?
義務的な教育をしているものは教育者とは呼ばない。
教育という「手段」をしっているものに過ぎないだろう。
ただ中にはプロセスの中で、それらを実践できている企業もあると思う。
みたことがないのでよくわからないが、リクルートなんてそうじゃないかな。
『リクルートのDNA』にあるような価値観を徹底して叩き込めばいい。
従業員が自己実現に向けて動けば、それを受け入れる器はとり揃っているからね。
ただ、そうでない企業においては、どうしても矛盾が生じる。
そういうところでY理論を提唱するのであれば、組織を変えるくらいのパワーがないと危険だ。
自分自身、一番の課題はそこだということを、改めて認識したよ。
自分が「死に場所」と思える組織でないと、下手に教育することはあまりよろしくないね。