動物園の動物と同じ人々

本日の日記第三弾。



ある書籍を読んで、恐ろしいくらいインスピレーションされたので、次から次へと思考が沸いてくる。こういう本と出会うと嬉しい。





ここ最近、ネット社会の浸透でコミュニケーションの出来ない若者が増えてきているという。



コミュニケーションが出来ないとはどういうことかというと、相手の言葉や内容に応じた回答が出来ないこと。



例えば、「昨日、カレー食べたんだけどさぁ」と来たら、普通は「どこで食べたの?」とか「美味しかった?」とか「あぁ、俺もカレー食べたいなぁと思っていたんだ」と言う回答をするもんだけど、そう言われたら「俺はスパゲッティ食べたよ」と自分のことを話そうとするという。



このような会話を、『動物化するポストモダン』の著者である東浩紀氏は、動物園で象が「パオーん」と鳴いていれば、その横でライオンが「ガオー」って鳴いているのと一緒と述べている。





この現象は「2ちゃんねる」を見ても、良くわかる。



中身を見ると、文脈なく自分達が言いたいことを書いているだけ。ただ、2ちゃんねるというものは、それはそういうものと受け入れられるので、そうあるからこそ面白いとは思う。



ただ、一般社会において、それだと困る。



小さい子を見ていると、やたらとお母さんとかに構って欲しくて、自分のことばかりの話をする。大人が自分のことばかりしか話せないのは、精神が成熟してないからなのかな。何か枯渇しているんだろう。



世の中が何もかもシステム化してきて、些細なコミュンケーションも世の中にはなくなってきている。システム化により、買物をする場所や食事をする場所の従業員がマニュアルに沿って行動を決める。



商店街であれば、値切ったり、おまけをもらったり、お釣を「はい、30万円」という面白いおっさんがいたりして、会話が中心となるが、コンビニで買物しても、会話もなく全てがオペレーションされる。



そんな中、ディズニーランドやリッツカールトンなどの書籍で取り上げられるようなサービスは、マニュアルは最低限で、出来る限り個人個人の想像力に委ねられているところが多い。



ここ最近は、システム化された世の中が、また古きよき時代のサービスに戻ろうとしている。とはいえ、一通りシステム化が完了した企業でないと、そこまでの余裕は出ないと思うが。



これは、ウェブサービスにも当てはまる。2ちゃんねるのような掲示板ではなく、SNSのように相互コミュニケーションが取れるサービスが出てきたし、今後は更にリアルに近いものへと発展していくのだろう。



リアルがバーチャルへと移行し、またリアルに戻ろうとしている。



自分はSNSでリアルを求めているので相手の性格がわからない人と交流を持っても、全然面白くない。人となりを知ることからコミュニケーションが沸きあがり、リアルの関係に回帰していくことこそが醍醐味じゃないだろうか。



SNSを単なる出会い系サイトやWEB1.0時代のサービスと履き違えていると、一生バーチャルから抜け出せなくなるんだろう。そういう人は、友人の数を増やすことや足跡の数を増やすことに満足し、どんな人柄かもわからない人と、お互い「ガオー」とやっていることで、むなしくなっていくんだろうな。まさに「mixi疲れ」という言葉がそれを象徴している。



だからこそ、更に一歩進んだリアルと同様のコミュニケーションないしは、ウェブだからこそ出来る新たなコミュニケーションサービスが出来た時が、WEB3.0時代の到来といえるのではないかと、思えてきた。