「守・破・離」の考え

創造には、3つのレベルがあるという。



まずは「模倣」。徹底的に模倣を繰り返すことで、本質的なものを理解するのに役立つという。



次は、模倣によって理解した本質的な内容を、他のものにその関連性を応用させていくこと。



そして、最後は新たなものを作り出していくこと。この最後の段階では、今までにない新たな機能を付加することであり、正に「創造」とよべるものである。





これは、まさに茶道、書道、剣道などに共通する、「守・破・離」の考えであり、まずは基本的なものを理解するという「模倣」がないと、その創造性も発展していかない。



例えば、本質を理解せず偶然的にヒット商品を生み出したところで、次から次へとヒット商品を生み出せるとは限らない。逆に本質を理解した人は、一発目のヒット商品を出すのは遅いかもしれないが、その後は次から次へと生み出していく。



そして、「破・離」が出来ることで、一流と呼ばれるようになる。これは、ロナウジーニョのスーパープレーを思い出す。「破」くらいだと、一流にはなれないんだろうな。





とまあ、最近あんまり意識していなかった創造性について、ブックオフで『創造学のすすめ』という本を見つけたので読んでみた。



img20061217.jpg創造のプロセスは「着眼→拡張→選択→ブラッシュアップ→アウトプット」となるが、やはりそのポイントは「着眼」。その着眼力をつけるためには、アウトプットを意識することで、身の回りにあるものを観察することという。



冒頭の内容と合わせると、「創造力」を身につけるためには、まずは「模倣」という本質を理解することと、その一方で身の回りのものを観察することが、始めの一歩となる。



日本の教育はダメだと言われているが「模倣」という段階においてはクリアしていると思う。ただ、それを発展させるかどうかは、人それぞれ。その人それぞれまでを教育することが欧米でいう教育なのだろう。



だから、学歴は社会には関係ないというのは、その点であり、その知識を如何に実戦で使えるかにかかっている。ただし、学歴というものは無駄なものではなく、基礎を学んでいるという点においては、アドバンテージに充分なるだろうから、一概には否定できない。



このようにして「創造力」は形成されていくのだが、自分もブログを書くという行為は創造力を鍛錬するためという目的のもとすすめている。ただ、このプロセスを知ることで、まだまだ内容の「ブラッシュアップ」が足りないと感じるところだ。



そして、それを積み重ねていくことで、「離」というフェーズに入ることで、超一流の「創造力」が身に付くのだろうと思う。



今はまだ「模倣」の段階であり、未熟さを感じるものだ。