ウェブ社会での人間性

今年最後の書評。



待望の『ウェブ人間論』。

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これは、梅田望夫氏と、小説家の平野啓一郎氏の対談をまとめたもの。今年は梅田氏の『ウェブ進化論』から始まった年なので、やはり最後はこの『ウェブ人間論』で〆たいと思ったので、今週まで読まずに温めておいたもの。



ウェブ進化論』において、目の前にウェブ社会が一気に広がったという衝撃を受けたが、AmazonGoogleなどによる情報発見の効率化よりも、自分はウェブを通して人がどこまで進化するのかを着目し続けた。



ウェブ社会に身をおくことは、簡単なことから始められる。その代表的な例がブログを書くこと。意外なことにウェブ社会に対する抵抗はまだまだ多い。旧体質の社会においては、ウェブ上はまだまだオタク社会と思われている。それはただ単にブログ1つを書くことに対しても。こういう見方は、ウェブ上で当たり前の生活をしている人には気づかない。



でも、実際ウェブ上にブログなどで分身を置いている人間しか気づかない、ウェブ社会の価値がある。この『ウェブ人間論』というテーマからも推測できると思うが、実はウェブ社会を知っている人間程、人間味がある人ばかり。それは、自己実現を助けてくれる一種のツールというのはわきまえている。



それを住人というのは、どうかと思うが、2チャンネルではなく、ブログやSNSが主流になってきた今では、そこにどっぷりつかることはオタクではないというのは、わかりきったこと。逆に、この世界を否定する人ほど、ウェブがもたらす社会の変化に対して無頓着だと感じる。



そして、このような価値観を持っていれば、ウェブ上に仮の姿を置く事が、自分の成長を助けてくれるということがわかっていると思う。人というものは、1つの性格ではなく、状況に応じて様々な性格を持っている。その様々な性格を持てるということは社会への適応性であり、それぞれの性格で学習したことが統合されることで、徐々に1つのアイデンティティというものが生まれてくる。



ブログやSNSというのは、正にそのような自分の仮の姿を置くのにはもってこいの場所で、自分の発言内容や人間関係に応じて違うブログを立ち上げられるように、それを活用しようと思えば、アイデンティティの形成に大きく役に立つ。



これは人それぞれだが、ブログ上の発言はリアルな生活における発言とは一歩違うものである。やっぱりリアル社会だと相手の表情や場の雰囲気を意識するので、その状況に合わない発言は避けるもの。でも、ブログはそんなのは無視して何でもありなので、控えめな人間でも状況を意識せず、好きなことが書ける。



ウェブが進化することで、この社会がより実生活に近くなってきている。逆にmixiなんかは社会性がありすぎて、自分はあまり好きではない。ある程度友人への配慮が必要なので、それなりに他人受けする内容になってしまう。ソーシャルな部分だけあって、どうしても仕事をしている自分と切り離せない。



でも、普段リアルな生活で知っているその人の性格と違う側面がブログ上で見れたら、これほど面白いものはない。一時期、アメリカのドラマで『ツインピークス』が流行り、多重人格が話題になったが、その人達はマイナスに思われていた。当然、2ちゃんねらーなども同様の見方をされているかもしれないが、今の世の中多重人格は当たり前で、分身はウェブ上に幾らでも置く事が出来る。



これからは多重人格は当たり前なのかも知れない。ただ隠れていたものがウェブ上に現れるようになっただけ。それを理解しながら、ウェブ上で仮の姿をいくつも作っている人は、恐らくもの凄いスピードで進化していくのだろう。



ウェブ進化は「知識の平準化」をもたらしただけではなく、その表現の多様性から「人の進化」へも影響を与えている。ただ勘違いしてはいけないのはこの世界が全てではないこと。自分は絶対にウェブ100%の社会は出来上がらなず、必ず「人間性」が絡んで進化を進めていくと思っている。



よりウェブが進化すればするほど、その人間性が露骨にウェブ上に表現される。



この考えに対する明確な答えは出ていないが、こういう側面で大いに考えさせてもらえる良書であった。