「あるある」は、あるある

あるある大辞典』での情報操作。



これって、よくある話でそこまで騒ぐもんかなと思う。まあ、それはこの番組が、かなり多くの人からの支持があるもので、納豆がコンビニやスーパーで売り切れるなどの社会に影響を及ぼす番組だからだろうけど。



この『あるある』の社会的影響力についてブログを書くのも面白いけど、情報操作の部分においても面白い側面があるので、そっちについて。



この情報操作がよくあるというのは、『統計数字を疑う』にも書いてあるように簡単なこと。あたかもそのような結果になるような、思わせぶりな表現はいかようにも出来る。

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例えば、ノーベル賞受賞者であっても、後にその実験結果から思わしくないデータは削除されていたという事実もあるという。自分の先入観にあるそれっぽいデータが示されると人は疑いの目を持たない。



むしろ、今回の『あるある』は、納豆という日本人が普段から口にしているものでの情報操作であるから、視聴者が「何か、怪しい???」とピンと来たのであろう。



「ところてん」とか「ウコン」なんかは、慣れ親しんでいないので、ちょっとくらいおかしいデータがあっても誰も気づかないだろう。



で、その情報操作は有り触れていて、プレゼンの常套手段して自分もよく使う。提案の主旨の前段で当たり障りのない部分において、都合のよいデータをサンプルとして示すことで、そのプレゼンの信憑性をあげることが出来る。



言っておくが、これは情報を操作して騙しているわけではなく、都合の良いデータだけを使っているだけ。都合の悪いデータは抜いておく。



もう既に、頭の良い人は気づいていると思うが、側面からの「陽」だけでは、正確に物事は判断できない。逆の「陰」の部分も確認できる思考力こそが「論理力」というもの。頭の良い人は、逆の側面から物事を質問してくる。



それとこれは、『影響力の武器』にあるように、『あるある』の中でどこかの大学教授という権威者の発言があることで、その実験データの信憑性が増す。その教授はその実験に全く関係ない形でインタビューを受けていても、画像を切り貼りして、実験と実験の間にインタビューを挟んだりすることで。



こういう風に見てると、テレビは巧妙に出来ており、上手く心理的なものも利用していると感心する。



これからの世の中は、情報過多なんだから、そういうことに騙される人が悪いんだろう。例えば、氾濫するブログから正しいものを判断することは、出来るんだろうかね。



人気があるブログが正しいなんてことにも、なりかねない。





弾氏も自身のブログで言っていたが、ブログを書く人間がバカだというのは、納得できる。人のブログがどうとかではなくて、自分でブログを書いているというのは、自分自身を納得させている行為で、実際に書いている内容を理解しているわけではない。



自分で書いた文章を読んで、初めて自分でその考えに納得できる。

納得というよりも、説得なのかもしれないが。



それこそまさに新たな理論が発見されたようなそぶりで書く(自分のことね)。本当は、書いている時は思いつき。書いた後で納得。



しかも、それをみんなにみてもらえる・・・・→気分がいい。

その上、頭がいい人に思われちゃう。



これが、ブログを書く好循環な心理なんだろうな。





そうすると、面白く書くために情報操作する、他人のブログのネタをぱくる・・・などなど。



そして、人気ブログとなり、そのブログの内容が世間的に正しく思われる。



でも、ネタバレして炎上。ブログが閉鎖に・・・。



『あるある』と同じ循環だね。よくありそうな話だ。