無理矢理なモチベーション

『若者はなぜ3年で辞めるのか』などの著書にあるように、若者の離職率の増加が話題に上がることが多い。



この書籍においては、終身雇用の廃止が主な理由。その会社に長くいることが身分を保証しないのであれば、他に移っても同じだという。世間を見れば、選択肢はいくらでもある。それは、現代生活の消費社会と同じで転職も家電売場でお気に入りのデジカメを見つけるくらいの感覚にもなるだろう。



そして、転職後の飽きっぽさも同じようなもの。新卒だけではなく、転職した人間も大抵1年半くらいで飽きてしまう人が多いので、世の中がそういうもんんなんだろう。



買ったデジカメに愛着がわかず、新しいものに買い換える行為は、1台目も2台目も同じ。結局は、本人の意識が変わらなければ、状況は変わらない。



ただ、そんな飽きっぽさを「自分探し」なんていう綺麗な言葉に置き換えるのは、おかしな話だ。



結局のところは、その会社への適合性への意識ではないかと思う。学生から社会人になることで、朝のルーズな生活から規則正しい社会人生活へと時間を適合させるように、自分自身もある程度は、その会社にあわせないといつまでたっても変わらない。



少なくとも会社が、半人前の若造に合わせることは、ほとんどない。だからこそ、環境が変わるのであれば、その環境に合わせて自分自身を変えるパワーが必要。



そんな具合に自分自身を変えるときに、モチベーションはとても高まる。



まあ、自分自身を変えるのに転職は手っ取り早い。

ただ相当なパワーを必要とする。転職する人間が生き生きとしているのは、そのため。



でも、それらは自然と上がっているわけではない。無理矢理あげている。だから、相当な精神力を消耗する。そして、転職なんていわばモチベーションのコントロールで無理矢理引っ張りあげられたものなんだから、1年半くらい経ったら、またモチベーションをあげないと、鬱みたいな状態になってしまう。



企業においても研修などにより、上手くモチベーションをコントロールしているところもあるが、外的モチベーションである以上、その若手が会社を辞めるリスクが減るまで(例えば結婚とか)は、モチベーションをコントロールしなければならない。



やっぱり必要なのは、自らが作る内的モチベーションだ。





何でこんなブログを書いているのかというと、次は1年半後くらいではあるが、どんなことを次の職にしようかと考えていて、最終的にはどんな職に収まるんだろうかと疑問に思った時に、とある本をヒントに思いついたこと。



新しいことにチャレンジするのはいいけど、1つのことに愛着を持ってそれに合わせる事も必要なんではないかと感じることもある。





若者だけではなく、転職組もそうだし、熟年離婚が流行っているっていうし、現代社会がもう消費社会になってしまっている今の時代には、早いとこ自分の居場所を見つけた人が精神的に満足するような気がしないでもない。



心の空洞化とは、正にこのことなんだろうね。