なぜだろうか?

何で、そんなに本読むのが好きなんですか?



今日、会社の同僚に聞かれたこと。





何でだろう????????





















考えてみたが、良くわからない。





何でって言われると「好きだから」としか、思い浮かばないが、先に「何で好きか?」と問われると、それ以上は困る。



正直、そんなこと考えたことがなかった。





でも、大抵の判断基準は、そんなもんだ。

合理的な計算の元で本を読んでもちっとも面白くない。



最近の若者の傾向で、何でも好き嫌いで判断するとは、様々な本で目にするが、別にいいんじゃないかな。



ただ、1つだけいえることは、本でしか得られない情報が山ほどあるからというのは、大きな理由だと思う。



結構、世の中で本を読んでいる人って少ない。『レバレッジリーディング』に載っていた統計で見ると、書籍に費やす月額では日本全体で5%以内に入るらしい。



でも、一般的に本を読まない人の方が、過半数を超えている。



まあ、本を読まない人でも、ウェブとか新聞で情報を収集していることだと思うので、最低限な情報は入ってくるだろう。じゃあ、仕事が忙しくて、本も新聞も読まない、情報は「めざましテレビ」のみなんて人は、知ったこっちゃない(結構多いんだ、これが)。



だから、「みんな本読まないんだって」安心していても、実は本以外のところで情報を収集している。



当然、自分も新聞は読むし、ウェブからの情報収集は毎日2時間以上は費やしている(言っておくが、mixiYOU TUBEを2時間以上やることとは違うよ)。これだけでは、他の人と差がつかないから、本を読んでいるわけ。





また、「知識社会の終焉、これからは創造力の時代」なんていう文句を様々なところで目にする。昔は、「モノ知り」は尊敬されていたが、今やグーグルがあるから、そんなことではもう尊敬されないという。



これは、知識が不必要というのではなく、知識だけのレベルでは皆同じということを述べている。羽生善治が『決断力』で、その状態を高速道路の終点間際の渋滞と例えているが、ある程度のところまでみんなの知識レベルは統一されている。



だからこそ、創造力の時代となるので、逆に知識がないと普通の人以下の社会が来たということになる。だって、創造力の基本って知識じゃない。知識と知識が複雑に絡み合う中でセレンディピティに出会うことで、閃きが生まれる。



知識をグーグルで頼っているだけ、またはウェブサイトからの情報だけだと、高速道路の渋滞なんだよね。





そこから、抜け出すために、本から情報を収集しているってのがある。





要するに、人と自分を差別化するための手段として、読書があるんだろう。

そして、その読書を充実させるためにブログがある。





これを、電車の中で同僚に話すのには、ちと固すぎる。





だから、好きな理由は、やっぱり「好きだから」の一言でも、いいんじゃないかな。



これだけ読んで飽きないんだから、好きなんだろうな。