もう1人の自分が・・・

何で最近SNSやブログがブームになっているのかが、何となくわかってきた。



ガンダムで言うとみんながみんなアムロ・レイになれるし、マトリックスでいうとネオになれる。そんな空間がこれらの仕組みの中に組み込まれているからだろう。





それは、なぜかというとSNSやブログはウェブ上の世界で、それはリアルではなくバーチャルな世界。ただ、それは完全なるバーチャルではなく、よりリアルに近いバーチャルだ。



もしSNSやブログ上での自分自身のあり方が完全にバーチャルでなければならないのであれば、それは自分自身の表現とは程遠い、いわばアイドル(偶像)的な存在を演じ続けなければならない。



でも、SNSやブログはバーチャル上で等身大の自分を演じられる。自己主張が出来るということが1つのポイントでリアルな自分を表出化するための場所として存在する。



更には、複数のブログを立ち上げたり、また仲の良い有人はマイミク登録しない人などは、リアルの上にあるバーチャルにて架空の人物を演じることが出来る。例えば、そこで男なのに女を演じたり、平社員なのに経営者を演じたり、または実在する他人に成りすますことも可能となる。



つまり、SNSやブログというのは、リアルとバーチャルの中間に位置しており、複数の自分自身をそれぞれの空間で行き来することが出来る。



いわばそれが、天然パーマのアムロ・レイモビルスーツを操ることで宇宙で活躍したり、貧弱プログラマーマトリックスに入ることでカンフーの達人になれる。彼らは、普通に街で会えば、天然パーマだし、どこにでもいるプログラマーであり、何かを身にまとうことで自分というものを損なわずに、救世主となれる。



そういう自己のアイデンティティの上の非現実性があるからこそ、SNSやブログが多くの支持を得ているのだろう。



そして、今までのブログがガンタンクガンキャノンだとしたら、mixiはそういう人達にとって最強のモビルスーツであるガンダムに写ったんだろうか。





それが、自分自身のキャラそのものを変えて作り上げるようであれば、大変肩身が狭い。例えば、モー娘の加護亜衣が喫煙で謹慎になっているが、それはもう1人の自分ではなく自分自身はテレビの中でもプライベートでもアイドルという存在にしなければならなかったからであり、他の同年代と同じように現実的なことをしただけなのに、週刊誌で取り上げられバッシングをあびてしまった。



会社の人達だけで構成されたマイミクや、恋人や夫婦同士がマイミクで繋がっている人はmixi上で、そんな肩身の狭い思いをしており、日記を書くのもためらう人もいるかと思うので、別のブログを立てるなり、アカウントを登録することが、よりこれらを楽しむコツだと思う。



中途半端な非現実性、または遊びの部分が必要だ。

(だから、日記を書かないのではなく、マイミクを広げすぎて、書けなくなってしまった人がたくさんいるんだろうなぁ。)



ただ、同じ会社の同僚だとしても、それがリアルでほとんど会う事のない、例えば拠点が違うなどという場合においては、リアルな関係でありながらそこでは架空のやり取りがなされる。具体的には、実際には仕事がつまらなく「鬱」状態にもかかわらず、ウェブ上で元気をよそおえば、その人間は「快活」に仕事をやっていることになるように。これも、いわゆる現実上の非現実的な空間を作り上げることができるといえる。それがリアルでの企業や組織上のつながりがあったとしても。



で、このリアルとバーチャルが微妙に重なり合うって言うのが現代の消費社会のポイントであり、ディズニーランドやセカンドライフなんていうのも、その類。



セカンドライフなんていうのは、企業スポンサーがついているので、ゲームの中でリアルに存在する店舗や企業広告が登場するという。Mixiなんてこのゲーム上で就職相談所を設けるっていうんだから、本当にリアルとバーチャルの区別がつかなくなってくる。



この複雑さから、現代消費社会を見ることにより、今まで見えなかった様々な世界が見えるようになってきた。この考えは様々なシーンに当てはめることが出来る。



この1週間こんなことばかり考えてたが、こりゃ面白い。