隠れて学習することも

自己啓発の一貫として学習することは、どこの会社も奨励しているが、もしかしたらそれは建前の部分もあるんじゃないだろうか?



それが、直接業務につながるものであれば、何ともないんだろうが、業務との関連性が薄いものに関しては、快く思われない部分もあるんだろう。



また、たとえそれが業務と関わっていたとしても、必要以上の知識や能力を身に着けることも、中には嫌がる人もいると思う。



まあ、これらは旧体質な企業においてがほとんどだろうけど。





大抵、大学を卒業して直ぐ社会人となる新入生は新入社員教育を受けさせられる。これは、現場配属の際に、その職務を果たせるように、社会人としてのマナーと必要スキルを教え込むものであり、当然のことながら業務と関係ないことを教えている暇はない。



それは、意図してのことかわからないが、研修所などにある程度の缶詰状態で行われることが多く、世間と隔離された状態で実施されることもちらほら。





こういう状態は何となく軍事教育にかぶって見える。



外部との情報を断絶することにより、1つのことに集中させる。

いわば洗脳みたいなもののように。



北朝鮮が国営放送しか流さないのも、それと同じ理由。





そんな社員が成長する毎に、自分自身の成長速度とスキルに疑問を感じる。これに気づかれることは、会社側にとっては脅威だ。







その人間は、自分のスキルアップを図ったり、外部との交流により今まで得ることのない情報を取得しはじめる。





これに気づく人間は多いが、行動を起こせる人間は、意外と少ないように思えるが、行動さえ起こせば、新たな世界は簡単に広がる。



そうすると、洗脳されたままの先輩社員よりあっという間に実力が身に着くし、また新たなジャンルに挑戦したいと転職を希望するものも出てくる。





旧体質な組織にとっては、やっかいな存在だ。





もちろん自分もそういう行動を起こす側だったし、周りで共に学習していた後輩達もそうであった。もちろん、その多くは既にその会社にはおらず、別々の道を歩んでいる。



ただ1つ最近思ったことは、この行為自体をおおっぴらにしていたことは、失敗したかなと思った。中には、それにより組織から変な軋轢をかけられた人もいただろうに。



ここら辺のさじ加減はとても難しいが、時には「隠れて学習する」ことも必要なんだろうな。



アピールすることが逆効果の時もある。



何てことを考えていると、会社のデスクに読んだ本を並べているのは、自分の手の内を全てさらけ出しているようで、何か惨めな気がするね。



まあ、出すものがあるだけでも良い方なのかも。