『フューチャリスト宣言』(茂木vs梅田)

待望の『フューチャリスト宣言』を読む。



img20070516.jpg最初に期待し過ぎたのか、お互いが歩み寄りすぎて『ウェブ進化論』と『脳と創造性』を既に読んでいる人には、ちょいと物足りない気がしてならないが、

ただ、両氏のウェブに対するスタンスやリテラシーが見れたことには、読んだ価値があったと思う。



途中SNSの是非について、両氏の意見がわかれる場面がある。茂木氏は数ヶ月前、mixi上から姿を消した。その理由がこれを見るとわかる。彼はSNSという閉じた世界だけに情報を発信することの意味が理解できなかったからだ。



一方、梅田氏は友人関係を親密にする場合においての、SNSの利便性を述べている。つまり、茂木氏はウェブを自分の観点(興味)でしか見ておらず、梅田氏はもう少し上の世界観としてみているところに差を感じる。



また、その生活も梅田氏はほぼウェブの中で半ば引きこもり状態で、毎日を過ごす。一方、茂木氏は多くの著名人と対談したりするなど、人と会うことに重点を置いている。これは、それぞれが従事する仕事の違いもあるが、ウェブに対するリテラシーもあると思う。



マズローの欲求段階で言うと、梅田氏はウェブ上で自己実現が出来る位置まで来ているが、茂木氏はまだ帰属レベルに過ぎない。



そのリテラシーの違いこそが、茂木氏が本書で述べている「インターネット上のテクノロジー評価は、それを使う人間のモチベーションやインセンティブを含めて議論しないと、システムの性質は論じられない」という言葉に表されている。



現代のウェブサービスというものは、利便性とか効率化というものでは評価できないもので、使う人がそれにのめり込むかどうかという点で、評価されるということ。



そして、ネット上で生活するには「感情の強化」も必要と述べられている。情報を発信する一歩を踏み出すこと。更には、そのレスポンスなどどのようなものがあるかもわからない。



システムが徐々に感情に近づきはじめていることが、この書籍を通して読み取れる。だからこそ、リテラシーがウェブに対する姿勢をコントロールするのだろう。



で、そのような中で、茂木氏は人と会うことを大切にしている。脳科学を研究する上で五感で様々なことを感じることは欠かせない。だからこそそうしており、まだまだウェブでそこまでのレベルでは実現できない。もしかしたら、茂木氏のウェブリテラシーがまだ梅田氏ほど行っていないからかもしれないが。



でも、ウェブを肯定する茂木氏はやはり学者であって、自分自身の理論や考えを、ブログなどを通じて世界中に発信することに喜びを感じている。一方、梅田氏は情報を発信してはいるが、多くの情報を取得し編集することに喜びを感じているように思える。



ここには、逆に生活のリテラシーが働くのであろうかとも思える。



で、これを読めば読むほど疑問に思った。

「梅田氏は何で『ウェブ進化論』を出版したのか?』



何で、ウェブ上でそのブログにそれを書かなかったのだろうか?

何となく、この部分が腑に落ちず、もやもやしたまま終わった一冊だった。

(もしかしたら、ウェブ進化論の前書きとかに書いているかも・・)