ウィキノミクスは浸透するのか?
この本では世界中のあらゆるウィキノミクスの事例が紹介され、企業や国境という枠を超えて多くの人が参加しての研究・開発の可能性を示している。
ここに書いてあるようなことが、これからどんどん起こっていくかと思うと、これからの未来がとても面白く思えてくる。
ただ1つ気になるところは、ウィキノミクスの概念はCGMのようにユーザー主体で作り上げていくものではなく、情報を開示する側の意図的なコントロールが働くところ。
『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』でひろゆき氏がニコニコ動画で体験したように、公開されているAPIを使って本体以上に儲けてしまうと、リンク拒否などというように潰しにかかられるのが現状。
また公開する方の技術力も問われる。
例えばオープンソースソフトを作りたいので、ソースコードを開示するといっても個人レベルであればよいが、企業レベルでいうとよほど綺麗にまとまったソースじゃないとプライドが邪魔して公開できないんじゃないかな。
下手なソースを公開することで、恥をさらすようなもの。
実際に、ここら辺は多く企業が自信を持っていないような気がする。
まあ、どこのシステム会社も、売り上げが立たないと人も動かせないので、コスト内で最低限動くものを目指しているからそうなんだけど。綺麗に書くのは、技術のある一部の人しかいない。
また、ドキュメンテーションがきちんと出来ていないと、公開するにもするものがない。意外とここはネックになると思う。
ドキュメンテーションなんて、やりたいけど時間がないから出来ないのがほとんどだからね(コスト内で最低限のものを作るという考えにおいては、ドキュメンテーションは出来るだけ作りたがらないもんだからね)。
もしかしたら、こんなのとっても無駄だろうとみんなが考えておりパフォーマンス的な要素が強いISO9000がウィキノミクスを普及するのに役にたったりして・・・。
まあ、こんなように、ある程度公開することを想定していないと、ウィキノミクスをしたくても出来ないんじゃないかな。
出来るだけ早くそれを進めていくためにも、今から準備は必要。
数年後には、どの業界も準備が整いウィキノミクスの波がやってくるように、この本を見ていると思える(というか、この本を見てその重要性を認識した人は多いと思う)。
たった一人の技術力の低い従業員や、ドキュメンテーションを怠るようなわがままな従業員のために、その可能性を失うことは多々あると感じる。
そして、それらが普及したときに、Linux社会ではギーク同士が、全く他人でも教育していたように、それぞれの社会の相互教育の文化もキーになっていくんだろうな。
まだまだ多くの壁があるけど、それが出来たらとても楽しみにな社会になる・・・と思わせる良書だった。『ウェブ進化論』もそうだけど、未来に大して希望を持てる本は面白いね。
ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ
ドン・タプスコット/アンソニー・D・ウィリアムズ (著), 井口 耕二 (翻訳)