努力
ちょいと、前回のブログの続きな備忘録。
努力とは何のためにするのか?
様々な理由があると思うが、明確なことは「自己の目標をなしえる上で、その基礎となる型を作るため」だと思う。
創造のプロセスでいう「守・破・離」の「守」の部分。
学ぶの語源は「まねぶ」とも言われている。
さらには、「模倣」から創造が生まれるという理論も。
一流は早いうちに「基礎」を固める。
二流は「破・離」ことばかりで、「守」がないので大成しない。
天才イチローは高3の夏、甲子園で負けたその日に実家に電話し、「筋力トレーニングのマシンを用意しておいて」と親に頼んだそう。
自己の弱みを理解し、次のステップに必要なことを徹底する。
自己の目標が明確でない限り、努力はいくらしても「努力のための努力」になる。
努力は努力して存在しえるものではない。
むしろ、努力している本人には気づかないものこそ努力だという。
本人が単に楽しみ夢中になっていることが、世間から努力と言われることが多い。自己の目標が明確であれば、余計なことを考えず夢中になれる。
つまり自己の目標がない限り、努力が報われることも少ないとも言えるんだろう。
新渡戸稲造は図書館の本を端から全部読むと目標を立て、ひたすらそれに突き進んだそうだ。ただ、夢中になって本を読みすぎて倒れたそう。でも、その結果、病床で『武士道』という名著が完成されたという。
努力の先には、セレンディピティがある。
自分も、早くビジネス書1000冊読破を達成しようと、モチベーションがあがるばかりだ。
もちろん、その先の具体的な目標も明確だ。
後は、読書に夢中になるだけ。自ずと結果はついてくることを信じるだけだね。