比内地鶏
赤福とか白い恋人は安価なお土産だし、お菓子なのでまだ許せる部分があるけど、比内地鶏の偽装事件はちょっといただけない気分だ。
比内の地鶏は日本3大地鶏として有名なのに、それを装った商品が10年近く、誰も気づかず流通しているのは、食のブランドというものを考えさせられる。
食のブランドの代表として松坂牛があげられるが、松坂牛は精肉されても品質を証明するためのシールを貼り付けて出荷している。
http://www.mie-msk.co.jp/index.html
それは松坂牛だけではなく、大間のマグロや豊後の関サバ、関アジのようなものも証明シールを貼ることで、そのブランドを保とうとしている。
特にブランドを維持するために必要なことはコピーを防ぐ仕組み。
そうされても、コピーだとすぐわかる品質は重要だ。
品質管理のプロセスが確立されているからブランドなんだよ。
ヴィトンとかのブランドバッグなんかは、いくらでもコピーがあふれているが、これは本人がコピーとわかって使っているからまだいい。
自分もロレックスのコピーを数年間使っていたが、結構人の目をごまかせる。
ただ、その後に本物のオメガを買った後は、コピーは買おうとは思わない。
もうコピーじゃ、オメガを買った時以上の精神的な満足は味わえないからね。
他人をごまかせても、自分自信はごまかせない。
こういうものならまだしも、食べ物はいくらブランドだとしても、そのものが加工されてしまうので、いくらでもごまかせる。
ちょっといい和牛を使ってハンバーグにして「松坂牛のハンバーグ」と打ち出せば誰も気づかないし、大間のマグロなんて天然物なので、本物でも回転寿司で安売りされているものすらある。
で、結局のところの話だけど、「食のブランド」ってありえないんじゃないかな。
シールとかいくら作っても、天然のもの加工できるものや品質を生産者の意図で保てないものをブランドと定義しているのが、おかしいよ。
食の価値は、美味しいか美味しくないかという感覚的なもの。
極端な話、大間という現地に行かないと食べれないマグロこそが、大間のマグロというスローフード的な定義をしたほうが、よっぽど価値がある。
で、安全という部分においては、賞味期限の改ざんは企業にとってもリスキー。食中毒でちゃったら一発で業務停止だからね。
また、中国産は何ともいえない。
やっぱり安いものは質が悪かったり、生産地が怪しかったりするのは当然。
でも、そういう安いものがあるから助かっている人達もいるわけなので、それが何ともいえないところ。
中国野菜の恐怖は、歯医者にある虫歯の写真のように、メディアが作り上げた、ごく一部の事実が誇張されているだけかもしれないからね。
と、いろいろ書いてみたが、へたに知識があるだけに、魚を選ぶときは産地に踊らされているのは否めないな。
理屈から入る人は、一番最初にこういう文字表示に騙されちゃうんだろうな。
茂木さんの『食のクオリア』にあったように、やはり食べ物は五感で食べなきゃだめだよ。