知的生活=本の保管に悩むこと
『ウェブ時代をゆく』第5章〜手ぶらの知的生産〜。
梅田望夫氏の重要な一冊である渡辺昇一氏の『知的生活の方法』の中に、「知的生活とは絶えず本を買い続ける生活である」という一文がある。
更には、「知的生活は自然と本の置き場の確保へ向かう」という。
ただ、それがウェブが充実することで、本を買い続け、それを保管するための資産がいらなくなるかもしれないと。
ここの部分は、まだ自分が受け入れられていないところ。
まだ何となく、ウェブ上の情報は軽く思えるし、PCの画面は本と違って5時間も8時間も続けてみることに辛抱ならない。
そういう価値観も変わってくる日がいつかは来るんだろうか?
まあ、それは置いておいて、本なので手に入れた知識を原稿などの文章にアウトプットしないことは、この本のなかでは単なる「知的消費」と言っているという。
知的に生きるためには、何かしらのアウトプット(創出)が必要となる。
そういうアウトプットされたものたちが連鎖を生み出し、巨大な英知となる。
自分がアウトプットするもののレベルなんて、たかが知れている。
でも、それらを閉じているよりかは、誰かの役に立ってんだろうと思うこともしばしばある。
もしかしたら、それがコミュニケーションの本質なんだろうか?
東浩樹氏は現代のコミュニケーションは内容ではなく、何かやりとりが「あった」というレベルでしか認識されていないという。
mixiでいうとマイミクが何人いるとか、日記にコメントが何通入ったとかだろう。
個人的に思うのは、知の連鎖というものには、ウェブはまだまだ程遠い。
それはアウトプットする人達の知のレベルにもよると思う。
まだまだ今の技術では、それらを集約するのに無駄な情報も集まってくるので、とても時間を浪費する。
本を選別する方が、まだこちらは編集されていたり、書評もたくさんあるので、有効かそうではないかは判断しやすい。
それらの問題がクリアされた時に、ウェブの情報が本当に役に立つんだろう。
まだまだ、本の保管スペースを気にする日はしばらく続きそうだ。