空気なんて読まなくてもいい
ある意味「KY」というのは、仕組まれた罠的なものがあるんだ。
『「関係の空気」「場の空気」』を読んでいてそう思う。
「空気を読む」というのは、その場の雰囲気を読む以前に、それまでの長く続くプロセスを理解していなければ出来ない。だから突然輪の中に入る転校生がいじめられたり、産休復帰や海外からの転勤者、中途採用者などが肩身の狭い思いをする。
だからこそ、ある程度作為的に相手が空気を読めない状況を作ることは可能だ。
会話の中にやたらと「あれ」とか「それ」とかをちりばめたりすることで、その経緯を知らない人は、既に空気を読めない状況におかれる。
だから自分自身を守るための空気なんていくらでも作れる。
特に大企業の保身的な人は、そういうことは日常茶飯事に行っていることだろう。
ただ、『議論のルール』にもあったように、生産的な意見交換とは「相手の話を聞くこと」から始まる。経緯をしらない人がいたら、会議の前に前回の議事録を渡したり、その場で丁寧に説明することで、初めて生産性のある議論がなりたつ。
会議とかで何かと「例のあれ」とか、初めて参加する人に気を使えない発言をする人は、要注意だね。ある意味、会議でイニシアチブを取るために、経緯を知らない人に対して圧力をかけている場合もある。
ファシリテーターは、そういうものを見受けたら、すぐに改めさせることが必要となるんだろう。
一方、この本を読んでいると、「空気が読めない」ということは、必ずしも悪いことではないような気がする。
空気が読めないふりして「新たな空気を作り出す」ことも可能だ。
慣れあいの空気を壊すことを役割とされている人もいる。
空気が読めることとは「慣れあい」に参加することにもなる。
刺激を求めるのであれば、あえて空気を読めない方がいい。
大企業とベンチャー企業の境目はもしかしたら「空気を読んで」それに従がう人が多いのか、あえてそれを壊そうとする人が多いのかだと思う。
空気を読んだ行動をして褒められる、もしくは空気を読んでじっと黙っていられる人は大企業向きだ。
逆に、空気を読んで敢えてその空気を壊す行動が出来る人はベンチャー向きだと思う。
後者がいわば風通しの良い企業と呼ばれるものなんだろう。
世の中には意外と「社長とフランクに会話できる企業」を風通しの良い企業だと勘違いしているが、実は「空気を壊すことを奨励される企業」のことを指す。
『ウェブ時代をゆく』で梅田さんが言っていた、コミュニケーションが流れている会社というのは、こういうものなんだろう。
常に、「空気の罠」が仕掛けられているところは、要注意だね。