転職した理由の1つと、組織論への興味について

(引き続き、ハーバードビジネスレビュー12月号より。)



どうしても、組織論に興味があるので、そっちの話にばかりに行ってしまう。常に理想的な組織とは?と考えながら仕事をする毎日。何故、組織論に興味があるのかは終盤に記載することにする。また、それが自分が転職を決意した1つの経緯でもあった。



で、この一冊の中に、目に止まった記事が「模範的チームはなぜ失敗したか」というもの。



チームのモチベーションも、メンバーの能力も高いのに、失敗するチームをこの論文では「ナットアイランド症候群」と呼んでいる。ナットアイランドというアメリカのボストンにある下水処理場のチームの失敗から名づけられている。



そのチームを例えにして、優秀なチームが失敗する過程とは、以下のプロセスを経て出来上がっていく。



(1)

優秀なメンバーが揃っているがゆえ、マネージャーからチームへ全面的に権限委譲が行われる。その中で、メンバー達は自分達のプライドを創り上げてゆく。



(2)

チームからの提案に対するマネージャーの無関心。解決を迫られた提案を実施しても、うやむやに取り消され、チームのメンバーが憤慨する。



(3)

「チーム対組織」という構造になり、チームのメンバーは「英雄的のけもの集団」という意識が芽生え始め、チームは外部に助けを求めなくなる。



(4)

チームが独自のミッションとルールを作り始め、完全に孤立した行動を起こす。



(5)

チームは完全に外部から聞く耳を持たなくなり、チームの独断専行が活発化していく。




要するに、チームが優秀なメンバーゆえ、そのプライドを元に独自のルールを定め、組織とは関係性のない独断的にミッションを決め、遂行していくというもの。原因は、そのチームに無関心なマネジメントであるいう。





自分は、これを見て「なるほど」と納得した。

大袈裟に言うと、正にそのような経験をしたことがある。



チームを率いて、方向性に迷いが出た時に、会社に相談しても無駄だと思い、独自のルールで遂行し続けた。その時の心境は組織への「対立」というものよりも、「孤独感」がとても強かった。



もちろん、メンバーは会社の中でも優秀な人間の集まりだった。



ゆえに、自分達が会社を変えなければという、勝手な責任感が働いた。自分達の持つ危機感からの提案は、普段はチームに対して無関心な役員達に、あっさりと否定され続けた。



そのなかでも、それまでの過程で築いた価値観を曲げずに、会社とは戦い続けた。周りからは優秀なメンバーの集まりではあると認められてはいたが、そんなことはどうでもよく、やるせなさの方が気持ちのほとんどを占めていた。



2年くらいの期間対立が続いていた。



結局のところ、そこでは自分のやりたいことが出来ないと思い、自分は会社を出て行くことを選択した。本心では、転職をしたかったのではなく、やりたいことがその会社で出来ることを望んでいた。ただ、それを言うのは何となく嫌な気がしたので、辞める理由は「やりたいことがある」ことに留めている。



その気持ちを、辞めるときになっても役員に汲み取ってもらえなかったのは、とても残念だった。





この論文を読んで、上記のように自分が前職を辞める経緯とかぶった。

正直、辞めてから2ヶ月経った今でも、3年間自分が指揮していたこのチームのやり方が正しかったかは、毎日のように自問していた。



ある意味、トラウマとなっている。だから、組織論についての感心も一際強い。再び組織を率いたいと思っている。なぜなら、その組織を成功させることによって、早くそのトラウマを拭い去りたいから。



ただ、この論文を読んで、多少視点を変えることが出来た。

ハーバードビジネスレビューは経営者の視点で書かれているので、当然経営者側の非として論じている。



それを見て、「経営者側が悪いから、自分は問題ない」と、この問題を片付けるのではなく、ステップアップをして自分が経営者側になり、そのようなチームをサポートする視点をもてれば良いという結論に至った。



今の職場の面接においても、自分の目標として「新たな事業部ないし会社を創設し、組織を率いること」を宣言している。もちろん起業を視野に入れての転職ということも。



こうして、自分の経験を理論化して、整理していくことは、自分が目標に向かう1つのステップとなるし、モチベーションにもなる。



その問題があったから、このような記事に反応できる。

だから、新たなことにも首を無理矢理突っ込んででも嫌なことすることに、抵抗がなくなっていく。そうすることで、人は成長すると身を持ってわかっているからだろう。



嫌なことを辞めた時。結果を結果としてしかとらえられなくなったとき。



それが、成長を止める時だと実感するものだ。